6月の中旬から必死に何かしら手書きで発散しようとしています。
パソコンや携帯で調べれば早い、そしてプラスアルファの情報が出てくるのでそっちの方が断然便利なのに、なぜかアナログなことをしたくなります。
こちらのサイトを参考に『旬の食材リスト』を作りました。
www.kikkoman.co.jp
毎週末に次週の献立を作成していると、毎回同じようなメニューになります。
こうした一覧表を作って、「今の旬は”かじきまぐろ”じゃー!」と知ったところで全く献立に取り入れられる自信ない。魚は焼くか鍋しかしません。ムニエルとかアルミホイル包みとかもしません。結局魚は焼くのが一番おいしいと信じています。世界一おいしくて楽なのは回転寿司ですけど。
こうして魚や海鮮一覧を見て、旬とは一体なんなのか。旬って全く意識してないなぁと。小料理屋じゃあるまいし。私は学生時代に部活と勉強を存分に頑張って悔いなし、社会人10年は経験して悔いなし(もう働く気ないという気持ちも込めて)、スケートボードも頑張ったし、かっこいい旦那さんにカワイイ子供もいるし、人生悔いなし。ただ残りの人生をせっかくなのでおいしい物だけ食べて過ごしたいなぁとか思いつつ、昼間に一人でカップ麺食べたりしていて、せっかくなので食べたことないものを少しずつ制覇したいな、という気持ちになりました。料理じゃなくて食材を。
私が食卓に出さないので子供も食べたことがない、というものがたくさんあります。そして子供はかなり警戒します。野菜なんて特に食べません。ほうれん草を「草、やだ!」と言ったりします。草て!と思いますが、まぁ『ほうれん草』の名前に草使われていますからね。これを”野菜”として食べ始めた人っていうのはすごい。このエピソードって魚とか貝にも言えますけど。確かに一番最初に貝食べた人って勇気あると思いましたもん。
ぶどうに顔書いたら、ドロヘドロのホールくんっぽくなった、、。
ハンバーグに玉ねぎのみじん切りを入れると気づかずに食べる、とか混ぜ込み式だと食べれますが、要は「気づいていない」「認識せずに食べる」ということが”食育”の意味あるのか、と思ってしまいます。もちろん摂取することが重要ではあると思うけども、例えば「ほうれん草はこういった色形をしていて、こんな風に作られている」というのがわかって食べるのが食育なのではなかろうか、と思うわけです。ま、私もそんなに意識してるわけではありませんが、最近は「この野菜は私が育てました」というような農家の方々の名前が野菜のパッケージに掲載されていることが多いです。作った人がわかると消費者も安心だとかそういうのもあると思いますが、いつも息子を送り迎えしている道の向こうにネギ畑があると、「あのネギが回りまわってうちの食卓に並ぶかもしれない」と思うと、やっぱりただの景色じゃなくて畑が私の体と結びつくというか。地球から命をもらっている、という大袈裟な話ではないけれども、当たり前のようにあるものは当たり前じゃないっていうことですね。
常備野菜だと思っているものも”旬”が必ずあり、旬とは『おいしくて安い時期』と私は認識しております。別時期でも食べられるけど旬に食べた方がお得ということですね。あれ、私いまさら当たり前の話してます?まぁ旬だろうが今食べたいものを結局食べてしまっていたんですけど、一応二児の主婦ですし献立決めや買い物の時に「今の旬は、、、かじきまぐろね!よし!」と言って旬を取り入れられるスーパー主婦になりたいじゃないですか。
そういえば作ってて思ったんですけど、「みかん」「バナナ」「すいか」とか載ってないんですけど、旬とかないのかな?自分で調べて追加すればいいだけの話なんですけど、それをしないスーパー駄目な主婦です。