うちはよく「なぜそんなに”ありがとう”が言える子供達なのか」と言われます。実際私もそう思います。
うちは「何もしていません」っていう、子供が自分で自然と優しさを身につけたように言いたいですけど、私も結構いろいろしています。ホントです。何もしてなさそうに見えますけど。
- 「ありがとう」をくれて『ありがとう』
私は息子や娘に「ママ、ありがとう」をたくさん言われます。ほとんど何かをする度に言われます。その度に私は「わー!ありがとうって言ってくれるの、嬉しい、ありがとう」とリアクションします。これをひたすらやり続けた結果、”ママ”の部分をパパや兄妹やお友達の名前に置き換えるようになりました。もちろんお友達のお母さんとかにも言えるようになったりするとめちゃくちゃ褒められます。嬉しい。「ありがとう」が言えるだけでこんなに褒められるなんて、、、。自分のことのように嬉しい。それだけ「ありがとう」が言えることは便利というかラッキーというか、なんていうか幸せしか運ばない魔法の言葉であると感じます。
だからこそ難しい。自主的に言えるようになるために親はこの魔法使い見習いに強要するのも気持ちわかる。ありがとうが言える子、それだけで立派判定もらえるだから。
親が子供に「ありがとう」をたくさんいう。そのためにわざわざ場面を作る。例えば、ゴミを捨ててもらうとか、リモコンを取ってもらうとか。自分で出来るけどわざわざ子供にしてもらう。1歳半検診で「”ポイして”と指示を出すとゴミ箱にゴミを捨てることが出来る」という項目があります。その頃にゴミ捨てさせる親はほとんどだと思うんですけど、「ポイ出来たね!偉いね!」っていうミッションを褒めるだけで終わらず、そのまま「ありがとう」も言うと、”嬉しい”から”感謝”が結びつくというか。反射的に嬉しいと思ったら「ありがとう」が出る、”嬉しい”を教えるのは難しいけど「ありがとう」を言うのは簡単じゃないですか。
- やっぱり親を見て育つ
子供が「ありがとう」と言わないのはその親が「ありがとう」を言わないからだ、という極端な話ではありませんが、やっぱり子供は親を見て学ぶのだ、というのを実感した体験があります。
その1 私は子供達とスーパーで買い物をした時にレジの人にお釣りをもらうタイミングで「ありがとう」を必ず言います。100%の感謝の気持ちで言っているかというと結構そうでもなかったりします。例えば、「このレジを通らなかったらご飯食べれないからレジしてもらって助かります、ありがとう」とか思ったり「立ち仕事疲れるだろうな、手がご銭臭くなるよな、でもありがとう」とか「文句言う客とかストレスだろうな、大変ですね」とか「一日中この空間の中で仕事飽きるだろうし、気分転換に私の”ありがとう”を聞いてくれ」とかホント雑念だらけです。そんな雑念だらけのお礼ですが、ある日から子供がレジの人に「ありがとう」を言うようになりました。
その2 うちは電動付きアシスト自転車で3人乗りで普段は車道の左を走ります。ただ、どうしても歩道を走らなければいけない時がたまにありますが、その時に歩行者や対抗の自転車などに待ってもらったり避けてもらった時に「すいません」と謝ります。聞こえているかはわかりませんが出来るだけ届くように声出しています。すると子供達も「すいませーん」と言ってくれるようになりました。私はこの時嬉しい反面、すいませんよりありがとうを言っていればよかったなぁと思いました。「すいません」って言葉は曖昧な使い方するからなぁと思ったり、まぁどちらにしろこういう時に声をかけるというのはいいことだと思うんです。
- 反射的なのか”セット”なのか
何かをもらったら”ありがとう”のお礼をする、こういうのはセットで出来るようになるといいですよね。極端な話、心がこもっているかどうかは重要じゃないというか、そのへんは”ありがとう”と言ってくれたその言葉を疑ったりしませんよね。
なのに、「ごめんなさい」については『本当にそう思っているのか』『何が悪かったかわかっているのか』を追求したくなりませんか。なぜ「ごめんなさい」が疑わしいのか。それは多分、良い言い方をすれば”空気を読んだ”のではないかと思います。怒られそうな気がする、とりあえず”ごめんなさい”をする、と言ったカンジでしょうか。こうなってくると、”悪いことをした→ごめんなさい”というセットではなく、”なんか怒られそう→ごめんなさい”っていう反射的な言葉のような気がします。そしてこれは、日常的にこの手法でやり過ごしていることが多い。子どもは説教中に怒っている人の顔を見ません。やっぱり怖い対象から目をそらしたい、と思うらしいです。なので、怒られそうな空気はすぐ無くしたい、と思うのも当然なのでしょうね。
子供があまりわかっていないまま謝っているのは、どうしても理解させたくなる気持ちもわかりますが、あんまり深追いすると余計気持ちが離れていくので、とりあえずは謝れたことを褒めるべきだと思いました。褒められたくて率先して謝る子はいると思いますが、褒められたくて悪いことをしようとする子はいないと思うので、謝れるようになってから、なぜ悪いことなのか、それがどう悪いのかを話するのがいいと思います。あと、話が長いと説教だと思ってしまう、というのは子供にも苦痛なのであまりダラダラ話しない方がいいらしいですね。
- なぜ「ごめんなさい」を言った方がいいのか
とりあえず謝るというのは第一段階であると思います。それは謝るタイミングの訓練だったり、「こういうことをしたら謝る」「謝る時の言葉は”ごめんなさい”である」などの、まぁ謝る練習みたいなものでいいと思います。悪いことをしたら謝る、友達を傷つけてしまったら謝る、など。ではなぜ謝らないといけないのか、謝らないとどうなるのか。私も「今、息子から謝る言葉が出てほしいな」と思うことはありますが、後から『なぜあの時謝らせようとしたのか』を考えたことがあります。結果からいうと「そのお友達が息子から離れてほしくない、息子のことを嫌いになってほしくない」と思ったからなのだと思いました。もちろんお友達にも申し訳ない気持ちはあります。なので私も謝ります。私は私の気持ちを自分で言えます。でも息子の分まで言うことは出来ない、なので息子が自分で言えるのを気長に待ちました。
- 「ごめんなさい、って言いなさい」と息子に言わない
これはすごく悩んだんですが、相手のいるところで「ごめんなさいをしなさい」とか「ごめんなさいをしないともう遊べないよ」などの声かけは極力しないようにしました。親が指示を出すと、”親が指示を出さないとやらない”ようになるのではないかと思うからです。親の指示がなくても自分で言えるっていうのはなかなか難しいですが、それまでは率先して親が謝ってから「ごめんなさいの練習しようか」とか言って、相手のお母さんに付き合ってもらっていいと思います。私も謝られている時に「ごめんなさいしなさい!」と言っているお母さんは『あぁ、「今謝らせますから!もう少々お待ちください!」の気持ちの方が強いんやろな』と思ったり。待ちますけどね。結局子供が泣いて本質見失う、みたいなのよくありますよね、、、。
親が先に謝罪して、その場を離れてから落ち着いて子供の気持ちを聞くと、案外子供は親に話を聞いてもらえたことであとから謝れたりします。