始めましたっていうか始めます。まだ始まっていません。
毎年この時期になると『もっと英会話の勉強しておけばよかった』と思います。
なぜなら毎年カナダから友達が来日するからです。
いつも英語が話せる通訳的存在の人もいるんですが、今回は1人でパークに現れたのでちょっと緊張。当たり障りなく単語を並べてリリスに汲み取ってもらう方式なんですけど、やっぱりいろんな質問をしたいのに単語が出てこない。結局次の会話に流れてしまって、沈黙を埋めるために娘に「ハローやでーリリスやでー」とか言ってみたりして。
毎年必ず来日してくれるリリスは必ず私に連絡をくれます。私も必ず会いに行こうとは思うんですが語学力の自信のなさから出来るだけたくさんの人が集まる日に合わせて出かけていましたが、去年から「英会話はとにかく度胸が大事」と思い、かかんに話かけてみると案外、会話になる(まぁ汲み取ってもらっている部分が多いけど)。そして、「来年はもっと会話が出来るように毎日少しずつ勉強しよう」と決めてさっそく1年前にダウンロードしたアプリをそれから2週間やった以来開いていません。手軽は飽きる。
なので今年は
こちらのテキストを購入(といってもポイントで購入したけど)して、11/4からスタートする放送に身を潜めております。最初が肝心。一発目を逃すとずっとやらなそうですけど。
手書き手帳に熱心な私は、こういうテキストを見ると「うあぁ、字体かわいい」と思ってしまうわけですね。
「勉強しよう」と思うからダメなのです。これは一年間このラジオで基礎英語を聞いていると自分にどのような変化が起きるかという”実験”です。
また、幼稚園では月に1度、英語の授業の日があります。息子はすごく楽しそうです。数の単位や、接続詞がまだまだ間違えるばかりの息子に「日本語もまだマスター出来ていないのに」と旦那は言いますが、日本語なんて日本に住んでいたら自動で覚えるし、損をするものではないと思うので私はどんどん息子や娘に触れてほしいと思っています。
小学校にあがると「日本人なのになぜ英語を勉強しないといけないんですか」とクラスの男子が英語の授業をボイコットしていた時に、先生はどのように返していたか覚えていませんが、「世界で活躍する人になるため」とか「世界中の人と友達になれる」という漠然とした目的は今や私の目の前にあります。翻訳機能がすすんでいるのでかろうじてコミュニケーション取れていますが、いちいちアプリ出すのめっちゃ恥ずかしい。あと、会話が全く弾まない。これが悔しいのです!